FVIとの協力関係の中で、海外パートナー団体が行っているプロジェクトをご紹介します。
2017年5月
テロ以後の社会に触れて。活動協力4年目の報告
昨年7月の衝撃的なテロ以降、バングラデシュの人々は変わりゆく社会をどのように受け止めながら、歩んでいるのだろうか。そう思いながら、事件後9か月の3月末から4月にかけてバングラデシュを訪問した。3月中旬から下旬でも、警察が全国規模でテロ準備グループを捜査し、摘発を進め、地方でも発見されたアジトの包囲や銃撃戦の様子が伝えられる。社会の中に深い亀裂と不信が渦巻いていることを示唆していた。
食事も満足に取れない極貧をまったく知らない若者たちが事件を起こしたことに、バングラデシュの大人世代の衝撃が大きかったことをあらためて感じた。45年前、抑圧されたベンガル民族の回復のために独立戦争をサポートし、社会の発展のために尽くしてきた今の中堅、熟年世代は、高等教育を受けられるほど高い能力をもつ若者たちが、宗教を名乗る過激派に洗脳されていくことに驚きを隠せないでいた。
今回の訪問では、バングラデシュ南西部の農村で30年間、地域開発、特に民間の小中高校、そして大学レベルの高等教育機関を創立して教育に力を注いできた崇敬する長年の知人ショヒドル氏に会い、お話を伺うことができた。「バングラデシュで大学に行く若者たちは、この10年で格段に増えた。特に英語ができる学生たちは、スマホで世界中から情報を得ている。良いことでも悪いことでも、会って話すより何十倍も速くかつ大量に情報を入手している。最近、若者たちと話すと、西洋社会がこの500年ほど圧倒的に世界をリードしてきたことに対する反発がじんわりと広がっているように思う。
『そろそろイスラム社会が世界をリードする時代ではないか』と。だから洗脳されやすいかもしれない。」と案じた。
いくつもの教育機関の設立に携わってきた氏は、この数十年間の欧米諸国や民間団体からの援助を感謝するとともに、西洋の制度を取り入れた教育の限界をも感じ始めていた。「西洋の教育は科目ごとに分割された知識の蓄積を目的にしている。そこに善悪の教えはない。バングラデシュの教育で導入された宗教の科目では、信者が儀式を遂行できるように教える一方、社会で行うべき善と悪を教えて実践を励ますことがない」と分析していた。
今の若者世代を憂い、西洋からの教育制度の限界を感じ始めたショヒドル氏は、そこで留まってはいなかった。ビジョナリーの視点で、実践家としての活動を始めていた。郡役所の周囲で多くのカレッジや高校があり、学生が集まりやすい地区の商店街で部屋を借りて、6年ほど前からコミュニティ図書館を始めたのだ。若者たちが集まって本や雑誌、様々な新聞から情報を得ると同時に、顔と顔を合わせて社会のためになる活動を議論し、考えてほしいと願って「場」を提供したものだ。昨年のテロ事件以降、ショヒドル氏は毎夕、その場に出かけるようになった。若者と顔を合わせて彼らが考えていることを聞き、これから彼らが何を考えていったらよいか、様々な角度から提案しているのだ。実際に、身近な地域社会の課題を見つけ、彼らは主体的に献血運動に参加したり、親が社会的名誉のために強制する児童結婚に気づくとそれを止めてもらうように担当の役場に連絡していた。
自らもNGOの代表として手がけてきたプロジェクト推進という発想を転換し、基礎教育以上を身につけた若者たちが成熟した決断と活動を推進できるような「場」を提供する。途上国と言われてきた国の転換期に、自分のやり方に固執しないで「みんなが参加し築く社会のあるべき姿」という目的を目指した実践者の姿を見させてもらった。
変化する農村で社会活動を続けるショヒドル氏の話は、この時代に、「声なき者の友」の輪が関わるように導かれた、首都ダッカ郊外での研修機関での人々の養成の意義に新たな光を照らしてくれるように思えた。宗教の名のもとに巧みに誘い、高等教育を受けた若者たちをテロ組織に加担させる闇の働きが活発な時代に、目に見えない「永遠」を求めるとは何かを整理するなかで、一般の高等教育では出会わなくても済む「闇も光も混在する自分の奥底」に直面し、そのなかで「隣人のいのちを尊び支える」、「屈辱や害を受けても仕返しをしない」生き方に変えられ、さらに深めていくことをサポートする先輩経験者たちとの出会いの時間。
2014年からこの研修期間とのパートナーシップを始めて4年目。この時代に、それぞれの文化で格闘している「次世代の人の育成」。世界での貴重な働きに、日本からパートナーとして参加できることを感謝したい。