世界

FVIとの協力関係の中で、海外パートナー団体が行っているプロジェクトをご紹介します。

002 南アジア インド・北部

抑圧された人々、ダリットたちの尊厳回復プログラム 南アジア インド 北部 最貧構想としてあえいでいるダリットの人々。自信と尊厳を失っている彼らと関わり。全ての人を等しく大切にするという愛の世界観によって次世代の人々を育成するラムスラットさんたちの働きを紹介します。

2016年 「尊厳回復プログラム、郡での6年の第一段階の活動を完了して」

2020年、インド中間層人口は半数を超える!

2010年、「あと15年で、『貧しい』という形容詞が馴染むインドの人口の半数が中間層になる!」この予測は、多くのインドの人々にとって輝かしい未来を保証するものでした。00年代に、その予兆はすでに始まっていました。インドの大都市を訪問するたびに、新しい高架鉄道が延伸され、大規模ショッピング・モールが新規オープンするのを目にしました。2016年の世界銀行の2020年インド経済予測では、中間層は8億人(60%前後)に達すると言われるまでになりました。

 2010年、この表現のトリックを見抜く必要を考えさせられました。「語られない、人口の半数近い人々」が存在するのです。数%の人は富裕層、大富豪になっているかもしれません。けれども、残りの大多数の3~4億人以上もの人々は極貧か、貧困の生活を送り続けるということなのです。脚光を浴びる出来事の裏で「語られないこと」に「声なき者」が暮らしていることを読み取る想像力が、「声なき者の友」には必要なことを思わされ続けています。

このことを思案するときに出会ったのが、北インドの底辺の人々の根本的課題に取り組むために立ち上がったラムスラットさんでした。

社会に根深い課題に挑戦する

どこの文化で過ごしても、小さい頃から見聞きし、社会の一員として体で覚えた慣習が、実はこの社会だけに通用するものだということに気づくことは、大変、難しいことです。すべて当たり前のこととして、みんながあるパターンで食べ、飲み、振る舞い、人と関わり、喜びや悲しみを共通のパターンで表現する。「文化」と言い表される人間の営みは、その社会に属する人には、外から来た人に、なぜこうするのかを説明することはできないです。
 この「文化」には、所属する誰もが誇りを覚える輝かしい光の部分があると同時に、ある人々にとっては、苦痛に耐え続ける陰の部分があります。そのことを思い出させてくれたのが、北インドの「尊厳回復プログラム」という提案でした。

 高貴なものから卑賤なものまであらゆる職業をピラミッド型に分類し、生まれながらにしてピラミッドのどこの位置で生涯を過ごすのか、生まれ落ちた瞬間に上下関係を確定させる社会を人は作っていました。それは、誰と食事を共にすることができるのか、誰にどの食器を用いることができるのか、誰と机を並べられるのか、誰と喜び、悲しみを共にする友になれるのか、誰と結婚して、生涯を共にすることができるのか・・・。人々と関わる日々の生活から人生の重大な進路まで、社会が規定したピラミッドのどこに生まれたかで決められるのです。ピラミッドの底辺に生まれついた人々は、上の人から虫けらのように扱われ、社会で侮辱的扱いを受けても不条理でなく、この社会での条理とみなされるのです。これが「文化の陰の部分」です。
 この「文化の陰の部分」で、「一人のかけがえがない人」としての尊厳を傷つけられながら日々を過ごす、数えきれない「声なき人々」。

 自らも尊厳を傷つけられるグループの一人として生まれ、その不条理に目を開かれ、グループに属する人々の尊厳回復を自分の生きる使命として受け取ったのが、ラムスラットさんでした。

「どの人にどう関わるか。」今までの生活で当たり前だった慣習を「別のやり方に変える」。空気のようだったことを変えることほど、至難の技はありません。でも、その挑戦をラムスラットさんは受けて立ちました。自らも「声なき者」だったので、「声なき者の友」として立ち上がったのです。

 こうして、私たち、日本の「声なき者の友」の輪に与えられた使命と「声なき者の友」として立ち上がったラムスラットさんの使命が輪としてつながったのです。2010年10月から、北インドでの「尊厳回復プログラム」への協力が始まりました。

慣習に目覚め、慣習を変えるとき

ラムスラットさんには様々な出会いと経験から育まれた信念がありました。「人は長年、培ってきた慣習を簡単に変えることはできない。慣習の出所を知性で理解できるようなサポートが必要だ。そして、究極的には「人とは何か」という見方を、根本的に変えずにはいられない圧倒的な出会いがあることに気づく手助けをすることだ」と。インド社会では人をどう見るのか、その出所を多角的に説明し、当たり前だと思っていた見方によって精神が奴隷にされ、人との関係性が差別と侮辱にまみれた破壊的なものになることを、村での研修で伝えてきました。(写真)

「そんな説明は今まで一度も聞いたことがない!」初めて、この研修を受けたときの頭を殴られたような衝撃をジョゲッショワールさんは、こう語ります。彼は村社会で好人物とみなされてきました。礼儀正しく、誠実な人だったのです。けれども彼は、村のカースト社会にとても忠実でした。自分より下のカーストの人々とは食事を共にしなかったし、下のカーストの友人たちを家に呼んで食事を出すときには、家族には使わない粗末な食器によそっていました。それがこの社会の文化だからです。けれども、この「人間に階層をつける見方とやり方」がどこから来たのか、そして、友人たちがこの扱いにどれほど屈辱を感じていたのかを知性で理解して愕然としたそうです。

社会の慣習がある人々の尊厳を明らかに損なう悪習であると理解することと、それを変えることは別問題です。なぜなら、今まで当たり前だった慣習は「自らのカーストの誇り」であり、それを守ってこそ、家族、親戚一同の結束となるからです。社会慣習は人のアイデンティティそのものです。この慣習を捨てる決断は、自らのアイデンティティを脱ぎ去るような危機的状況を作り出します。ジョゲッショワールさんは、この研修後、何か月も悶々とした日々を過ごしました。

彼は15年以上前の10代のとき、ある劇的な出会いをしていました。自分と人を比較して高ぶったり、自分は全然だめだという思い込みに振り回されたり、人を批判的に見てしまったり、自分や人を破壊するあらゆる考えや悪癖に染まりがちな自分のために、命をかけて身代わりになり「あなたを完全に解放した」と宣言してくださった方を自分の人生の師、導き手として受け入れていたのです。

それ以来、彼は誠実な人生を送ってきました。けれども、今まで知らなかった社会の慣習に陰の部分があり、社会では正しくても、人を侮辱する側に立ってしまうことがあることを理解したのです。彼は今まで、慣習の陰の部分に気づいていなかったので、そこから転換する歩みを始めていませんでした。彼は自分の身代わりとなり、血潮をもって解放してくださった方が、彼にあらためて問いかけられる経験をしました。「あなたは、私が貴く造った人を破壊する慣習の奴隷となり、その慣習に留まるのか」と。

 研修から数か月後のある日、彼は突然立ち上がって、自分より下のカーストの友人たちに出していた家じゅうの粗末な食器すべて、投げ捨てました。家族は気が狂ったのかと止めようとしたのですが、彼は止めませんでした。


数回の研修後、カーストを越えて食事を共にする人々

「僕は、僕個人の負の部分から解放され、別の歩みを始めました。けれども今回、初めて社会の陰の慣習から解放される必要を知り、それを味わったんです。けれども、この社会に根深い慣習ですから、家族は変わり始めているけど、家から一歩出ればあらゆる場面で葛藤に出くわします。ずっと続く過程だと今は思っています。自分の立場を表すにはとてつもない勇気が毎回、必要です。今までの仲間を失う覚悟が必要ですから。でも、新しい仲間が与えられています。この慣習によって本来生きるべき人生を台無しにされてきた人がとても多いことが、見えてきたんです。」

ラムスラットさんが受けた挑戦は、今、ジョゲッショワールさんのように社会の陰の部分に覚醒し始めた村の人々の間に静かに広がっています。社会が盲目的に肯定する慣習の中には、多くの人の心や人生を傷つけ、砕いてしまう陰の部分があるのです。

この挑戦を受けて立つとき、人を生かすために世の流れに逆らって人生を歩む模範となられたかた、私のために身代わりとなって血潮を流されたかたがおられることが、慣習を変えるための勇気と力を与えてくれるのだ、とジョゲッショワールさんのこの数年間の人生が物語っています。

最初から、自立した活動を最初から目指す

ラムスラットさんがこの挑戦のための研修を北インドの農村地域で始めた際、彼は信頼できる活動パートナーが居住し、活動の拠点としている地域を選びました。小さい頃から地域の動きやそこに暮らす人々を知っている人が理念を体得してくれたら長期的な社会変革の核になると信じたからです。自分が人々の尊敬を集めた地域の長になるより、格闘してきた理念を地域で体現する誠実さと情熱を持ち合わせた地域に仕える人を養成する。そういう人が増えれば社会全体が変わる、とラムスラットさんは信じたのです。理念の全容をすぐに理解できなくても、この課題を共有し、目指す解決策の方向性を一緒に見上げられると腹の底から感じることができる人にたどり着くことが大切でした。

たどり着いた相手が、ひとつのグループのリーダー、ナンドキショルさん夫妻でした(写真)。


ナンドキショルさん夫妻

この研修で今まで気づかなかった人の見方をラムスラットさんから学び、ナンドキショルさんは奥さんともども、伝えられたことを伝える側になる役目を引き受けるようになりました。それから3年、彼が出してきた提案です。

 「3年間、このことを学んで実践してみて、驚くほどグループの人々の見方や関係が変わった。私たちは今、食事を共にできるし、自分たちが生かされている意味の理解もとても深まっている。だから、これを郡内の他のグループのリーダーたちにも伝えたいと思うんだ。」

それまでは、自分たちさえ良くなれば十分、という考えだったと話してくれました。けれども、社会慣習として侮辱され、差別されて傷つく人が社会に大勢いることを考えると、自分たちだけが恵まれた経験をして幸運だったという狭い考えでいるのはよくない、と思うようになったそうです。
そして、郡内を拠点にする他のリーダーたちに連絡をして日程を調整し、年に6つも7つもの村に出かけるようになりました。

翌年、その進捗状況を尋ねると、ナンドキショルさんのグループでこの研修を通して変えられてきた数人もが、自腹で研修についていき、自分が変えられた話をしていたと報告してくれたのです。

 教えられたことは、自立した活動の展開を目指す際に最初にどんな人を選ぶかということ、みんなの能力ややる気を引き出して、自由に動いてもらうことの大切さ、指示をすべて自分が出すのでなく、縁の下の力持ちとして、みんなのやる気とそれぞれの異なる能力が社会の変革に役立つように、自分も実践し、励まし続けることの大切さです。
  ラムスラットさんがナンドキショルさんを同じ方向性を見上げられる人だ、と腹の底から感じて信頼したのは正しかったのです。

尊厳回復、「声なき者の友」の輪の広がり

2016年、「声なき者の友」の輪の日本の私たちがラムスラットさんの挑戦に共鳴し、ラムスラットさんが出会ったナンドキショルさんのグループと研修を始めて6年。そして、ナンドキショルさんが、郡内で自主的にコンタクトを取り、様々なグループに研修を紹介して3年が経ちました。

今、北インドの「声なき者の尊厳回復」の活動は、「声なき者の友」として参加するグループ・リーダーたちや有志の自主的ネットワークに発展しています。(写真)
北インドで、「声なき者の友」の輪が人の計画を越えて広がり始めています。

人と世界を限りなく慈しんでおられる創造主が進めておられる「尊厳ある人の回復」という大いなる働きに参加するという特権に与る喜びを知った「声なき者の友」として生き始めた人たちは、たとえ、一時的に困難があっても必ず、回復のための輪は広がっていくと思えます。

6年目を迎えるとき、ナンドキショルさんがひっそりと語ってくれたことがとても印象的でした。「私はラムスラットさんに会う一年ほど前に、地域のあるリーダーに裏切られ、それから絶対に人を信じないし、ネットワークのようなつながりに入るのは止めようと決心していました。でも、ラムスラットさんと会って話を聞き、最初は受け入れない気がしましたけど、なぜかこの新しい試みに自分も挑戦したいと思えたのです。気がつけばこうして、ネットワークの音頭取りを自分がしているなんて、信じられない気分です。」

人が回復される働きは、限りある人の力も思いもはるかに超えた大いなる慈愛の力によって導かれている。その働きに参加する思いを起こされ、参加し始めた人はなんて幸いなのだろうとこの6年間を通して教えていただいたように思います。

この社会の大きな課題の挑戦を受けて、「尊厳回復」という地道に人に働きかける活動に立ち上がったラムスラットさんも、自分の思いをはるかに超えて人々が動き出していることに「用いてくださった大いなる方に感謝するだけ」と最近、メールを送ってくれました。

続く

北インドの一つの郡での底辺で抑圧されてきた人々の「尊厳回復」活動の試みは、郡内のリーダーたちや有志の自主的ネットワークに移行するという形で、一区切りすることになりました。

  ラムスラットさんは、これから今までの貴重な経験をどのように生かしたら、さらに永続する社会変革になるのか、1年かけてまとめたいと、しばらく専念することにしました。

   2018年に、ラムスラットさんは第二段階として、どのような提案をしてくれるのでしょうか?この働きを通して、日本でも多くのことを学ぶことができました。今までの皆さまのご協力とお祈りを心から感謝いたします。

   引き続き、大きく変化するインド社会の底辺で格闘されている多くの「声なき者」の方々のために、お祈りください。また、第二段階をご紹介できますこと日を楽しみにています。祈り、ご期待ください。