もーもー・プロジェクト

FVIが応援する、被造物ケアーの働き。

放射能被災牛の保全。もーもー・プロジェクト 「mow」は英語で「草を刈る」の意味。FVIが応援する、被造物ケアーの働き。

放射能に被災した牛たちのために何かできないかと立ち上がった谷咲月さん。

 2011年3月、東京電力福島第一原発が事故を起こし、美しい福島は失われ、周辺に住む人々は強制的に避難させられ立ち入りが禁止され、ペットや家畜も放置されました。牛舎に繋がれたまま餓死していったテレビの映像に衝撃を受け、牛たちのために何かできないかと立ち上がったのが、当時東京で会社員だった谷咲月さんです。

谷さんの詳しい活動内容をこちらの動画から知ることができます。
♦動画をみる【YouTube】


左から二番目が谷さん

「放れ牛」を生かすために。小さな命もないがしろにしない精神。

農家の依頼を受けて、東京から電車やバスで福島に通い避難所を回った谷さんは、自宅や牛舎が指定された警戒区域内のため残してきた牛の心配をしていた多くの牛飼い農家の方々と出会いました。3カ月ほどして住民の一時帰宅が可能になった際、この方々に同行して現地に入り。牛舎に繋がれたまま死んでいた牛たちと共に、何頭かは柵を破って逃亡し「放れ牛」になっていることを知ることになりました。

放射能で汚染された「放れ牛」ではあるが、何としても生かしたいと願った谷さん、夜にコンビニで店員・塾の教師をしながら活動資金に投入、牛の殺処分を指示した厚生労働省や農林水産省などに掛け合い、2012年8月に牛を生かしても良いとのお墨付きを入手したのです。小さな命もないがしろにしない精神を持つ谷さんの切なる願いが聞き入れられたのです。

復興要員の特別居住許可を得て、楢葉町に移住。

 谷さんは農地の所有者から水田跡(1.5ヘクタール)を使用する許可を得ると共に、放れ牛を「餌づけ」することによって5頭の放れ牛を集めました。牛たちは田畑の雑草を「草刈り機」のように食べてくれ田畑を荒れ地化から守り、里山の回復に貢献しています。ここで二頭の子牛も生まれました。
近隣の楢葉町が避難指示解除となるやいなや、復興要員の特別居住許可を得て楢葉町に移住して毎日の活動を続けています。

放牧場は原発から西へ約9キロの帰還困難区域にあるため、防護服と帽子、さらにマスクを着用し、町発行の通行証(毎週更新)と身分証明書を提示し、警備員が常駐するゲートを通過するのが日常の活動です。

一部の住民から苦情があったことを理由に、大熊町は2015年現在の放牧場を放棄する指示を受け、谷さんは別の場所を探す必要に迫られました。幸い、現在の放牧地から2キロ離れた土地を提供してくださる方が与えられ、以前よりも広い4ヘクタールの用地が確保できました。

谷さんの夢は「避難指示が解除になったとき、帰還する人に公園のように美しい牧場をみせてあげたい。牛で休耕地を再生するシステムを確立すれば、日本中で役に立つでしょう。原発事故の町からエコが始まる。夢みたいです」。

谷咲月さんは「ふるさとと心を守る友の会」を創立し代表理事として活躍中。 FVIは、被造物の冠としての人間が被造物をケアーする責務を与えられていると確信し、放射能被災した牛たちも「声なき者」であると考え、谷咲月さんの活動にボランティア派遣や小規模資金協力を通して、谷さんに寄り添うことをさせていただいてきました。

低線量被ばくが動物の体に及ぼす影響

*岩手大、北里大などの研究者やボランティアでつくる研究チーム「原発事故被災動物と環境研究会」は、放牧をした場所では放射線量の低下が顕著であることを発見(牛の柵のそばに線量は毎時約15マイクロシーベルト、柵から離れた草やぶの中では同40マイクロシーベルト)。「大型動物を長期間、低線量被ばくさせ、観察した例は世界にもない」として、低線量被ばくが動物の体に及ぼす影響に関心を示しています。

♦11頭の牛の里親募集

11頭が「もーもー・イレブン」として毎日草刈りに精を出し、神の創造の秩序(環境)を保全し、人・動物・自然が共生のモデル作りに励んでくれています。
この11頭の里親になってくださる方を募集中です。
ご希望の方はぜひFVIまでご連絡ください。【一頭につき月1000円】