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FVIとの協力関係の中で、海外パートナー団体が行っているプロジェクトをご紹介します。

007 東ヨーロッパ ウクライナ

チェルノブイリ原発事故を越えて 苦難の歴史から希望を見出した「声なき者」との交流と学び 東ヨーロッパ ウクライナ

苦難の歴史から希望を見出した『声なき者の友』との交流と学びのプログラム
~チェルノブイリ原発事故を越えて~

チェルノブイリ原発事故から

2011年以来、日本の私たちが「ウクライナ」という国名を聞いて思い浮かべるのは、1986年に重大事故を起こしたチェルノブイリ原子力発電所ではないでしょうか。

2012年3月、「声なき者の友」の輪は、このチェルノブイリ原発事故のその後から学ぼうと「福島未来会議2」を開催しました。チェルノブイリ原発事故の影響を受けたウクライナ人を福島に招き、日本の若い世代の人々と話を伺いました。これが、「声なき者の友」の輪にとって、ウクライナの人たちとの関わりの始まりでした。(写真・左)
福島未来会議2の報告

2012年10月には、放射能に不安を覚える福島に暮らす人々をサポートし、また、町の再生に関わる福島県の地域教会の牧師の方々とチェルノブイリ原発を訪問し、事故以来の話を聞くことができました。


ウクライナの苦難の歴史

このとき、日本ではほとんど知られていなかったウクライナの凄惨な歴史の一部を初めて知ったのです。1932~33年の旧ソ連時代のスターリン政権下、共産体制に従わなかったウクライナの農民を強制的な飢餓を遭わせ、一説には600万人かそれ以上ともいわれる農民の大量虐殺が行われ、長い間、ソ連で封印されてきたことが2006年にウクライナで歴史的事実として認定されたそうです。

また、1941年9月にヒットラーが率いるドイツ軍がキエフを陥落させると、直ちに市内に避難していたユダヤ人が集められ、ジプシーと共に一か月も経たないうちに約10万人が射殺され、バビ・ヤールというキエフ市内の谷に埋められたそうです。

1986年以来、チェルノブイリ原発事故の初期の消火作業、そしてその後の放射能被曝の後遺症で亡くなった人は、約2万人から最大で90万人とも言われます。ウクライナでは20世紀前半から、時代の強者の有無を言わさない力によって、数百万人以上の「声なき者」たちが命を奪われていたという事実に、息が止まるような衝撃を覚えました。

 2012年のウクライナ訪問以来、世代を超えて「苦難の歴史」を通ってきたウクライナの人々から多くの貴重なことを学べるのかもしれないと思うようになりました。
2012年 ウクライナ訪問の報告 【福島未来会議3】

今、起こっているウクライナ危機

2014年、ウクライナではロシアによる一方的なクリミア併合、そして東部ではロシアから放送されるロシア化キャンペーンに便乗し、ロシア軍と結託した親ロシア派による内戦が勃発しました。2015年2月に、ウクライナとロシアは停戦合意に至ったものの完全には守られず、現在もウクライナ東部では激しい戦闘が続いています。21世紀の今もウクライナでは、権力確執という人間の内に潜む闇の破壊力のために、「声なき者」の命が奪われる「苦難」が続いているのです。

2016年4月、チェルノブイリ原発事故は30周年を迎えました。(写真・右)この機会に、「声なき者の友」の輪は再び、ウクライナを訪問しました。 【2016年夏号ニュースレター報告】
原発事故30周年は、ウクライナの人々にとって痛みを覚える大切なときでした。同時に、国内には大国が干渉する予断を許さない紛争を抱え、避難を余儀なくされた多くの家族や、ウクライナ軍に参加して負傷した若者たちの治療のために、ウクライナの人々は心を砕き彼らを支えようと募金活動もしていました。

苦難の歴史から希望を見出す:ボリス氏の体験

2012年にウクライナから福島に来て、体験談を語ってくださったのが、ボリス・グレシェンコ氏でした。(写真) 1986年4月、28才のとき、100キロ離れたキエフでチェルノブイリ原発事故に遭遇したのです。キエフではしばらくして窓際に置いてあった鉢植えサボテンが突然、大輪の花を狂ったように次々に咲かせ、1か月後に枯れてしまったという事象が起こっていたそうです。

彼も体調不良に苦しむようになりました。体がだるく、何ともなかった歯茎から出血するようになり、血液検査の結果、白血球の数値の異常を告げられたのです。当時のソ連で科学重視の教育を受け、技術者として働いていた彼の家族はユダヤ人でした。ヒットラーがいない旧ソ連時代でもユダヤ人は目の敵にされ、ユダヤ系の名前を名乗ると酷寒のシベリアでの重労働を命ぜられてしまうので、高校時代にロシア系の名前に改名していました。彼は共産主義社会で神を否定する科学万能の考えに完全に順応し、父が従っていたユダヤ教とは一線を引いていました。その一方、世界のありとあらゆる宗教に関する本を見つけると、むさぼって読んでいたそうです。

チェルノブイリ原発事故後の体調異常に「放射能の影響だからどうすることもできない」と医者から宣告されました。共産革命以降60年以上経った80年代当時のソ連社会は、人間が成し遂げられるはずだと思っていた社会の理想からはかけ離れ、何の希望も感じられないものになっていました。それまで厳しい監視体制にあった宗教の布教活動が緩んだのはこの頃です。
あるとき、ボリス氏はキリスト教の集会に出てみました。まったくの時間つぶしのつもりでした。そこで、病の人々の回復を祈るときがあったそうです。特定の症状を持つ人のために祈りが捧げられていました。自分の症状みたいな人のことも語られ、似たような人がいるんだと思ったそうです。そして、家に戻り、寝る前には集会に出たことさえ忘れていました。次の朝、いつものように歯を磨き始めて、ふと出血していないことに気づきました。「どうしたのかな。」その後も出血はなく、次の血液検査で白血球数が正常に戻っていると告げられました。そして、思い出したのが祈りの集会でした。そのときは「祈りのおかげだなんて、信じられない。」と頭を横に振ったそうです。

それから数年後、商用でエストニアの州都(現在の首都)タリンに出向いた時のことです。旧ソ連から厳しい迫害を受けたことで名高い、とある教会の前を通りました。なぜか中に入る思いが起こされ、教会に入り椅子に腰かけました。すると突然、心の内にイエスと名乗る人が十字架に架けられた姿が迫り、涙が溢れてきたそうです。それまで、ずっと否定し続けたことを心から赦してほしいと願い、イエスに従おうと決心したそうです。まったく希望を感じられない社会で暮らしていた自分の心に、小さな希望の灯が灯った瞬間だったそうです。ソ連崩壊2年前のことでした。

1991年、共産主義体制を理想郷と描き続けたソ連は崩壊しました。ウクライナは独立国家となったのです。けれども、共産主義体制から自由主義社会に戻った東欧とロシアの狭間に位置するウクライナは、新たな緊張状態に置かれることになりました。ロシアは地政学上、ヨーロッパ勢と国境を接することをとても警戒し、ロシア寄りの政権のウクライナを緩衝地帯におくことを願っていました。

1994年、ボリス氏は独立国ウクライナで、ユダヤ人でありながらイエスに従う人々を中核にして、ユダヤ人の文化様式を尊重する集会を導くようにと助言と勧めを受けました。
「私が信じてもいないときに、地上にイエスを送られた神は、一方的な恵みで私も癒してくれた。」
 今も生きて働いている神を確信し、自分が生まれ育ってきた背景に「神が導く歴史」を深く感じて、集会を始める決断をしました。

旧ソ連時代に人為的飢餓によって600万人以上が殺されたウクライナで、ヒットラーの率いるドイツ軍からは虐殺の標的となったユダヤ人の家系に生まれ、チェルノブイリの原発事故では病に苦しめられたボリス氏が、体調不良を癒され、生き延び、次の時代の大切な役割を担い始めていたのです。このことに「苦難の歴史は決して失望に終わるものではなく、歴史を壮大に導かれるかたに応答する人々によって、希望に変えられるもの」なのだと、思わされてなりません。

 
苦難の歴史から希望を見出した「声なき者の友」とつながる

この集会のメンバーの中には、1998年から希望を感じられない社会で自暴自棄になった麻薬中毒の若者たちを家族の一員として受け入れてきた人々、また、2014年以降の紛争では、多くの命が落とされないように、歴史を導きかれるかたに祈りをささげ、紛争地の「声なき者」たちの支援に関わる人々もいます。「声なき者」が人知を超えた恵みのお方によって変えられて、今、「声なき者」として苦悶する人々に寄り添う「友」になっているのです。

 2016年、「声なき者の友」の輪では、苦難の歴史から希望を見出した「声なき者の友」であるボリス氏とこの集会メンバーと交流し、苦難と希望の深いつながりを学び続けるために協力を始めました。

 現在進行中の苦闘のなかで、彼らが見出す希望に触れていきたいと思います。ぜひ、祈り、ご参加ください。