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海外にいって、日本の見方は変わりましたか?
海外に行くと日本の見方は変わります。
ゲーテというドイツの詩人がこういう言葉を遺しています。
「外国語を知らぬ者は自国語について何も知らない」
これは文化についても言えるかもしれません。
「外国の文化をひとつも知らない人は、
日本の文化を知らない」。
「そんなことってあるの?」
と思うかもしれないけれど、
たとえば「自動車の中で生まれて、
自動車の中から一度もでたことがない人」
がいたとしたら、と考えてみましょう。
その人はずーっと自動車の中で生きているのだから、
他の誰よりも自動車について知っていると思うのだけど、
はたして本当にそうでしょうか?
その人にとっての自動車とは、
バックミラー、座席、ハンドル、窓から流れる景色だけです。
もしかしたら自動車にはタイヤが4つあることも知らないかもしれないし、
バイクと自動車の違いすら分からないかもしれない。
その人は自動車から降りて、
走る自動車を生まれて初めて見たときに、
本当に「自動車とは何か」を知ったと言えるのです。
日本の内側から一度も出ずに、
日本を理解したことにならない、
というのはそういうことです。
外国に行くことの、
もしかしたら一番よいことは、
日本のことがよく分かるようになることかもしれない、
と僕は思います。
僕ははじめてインドに行き、
ヒンディ語を学んだときに、
それを体験しました。
ヒンディ語には、
「Kahl(カル)」という単語があります。
この言葉には意味がふたつあります。
ひとつは「昨日」、
もうひとつが「明日」なのです。
だからインドの人と英語で話していると、
インドの人が、
Yesterday(昨日)とTomorrow(明日)を、
言い間違えることがあります。
インドの人は「カル」という言葉を頭に浮かべ、
それを英語に翻訳してから話しているので、
同じ単語を言い間違えてしまうのです。
昨日と明日が同じ単語だと、
とても困ったことが起きるのではないかと、
「時間を世界で一番守る」日本人の僕は、
最初不思議に思っていました。
その後4ヶ月インドで過ごしてみて、
僕はやっと「カル」に納得しました。
インドでは電車は何時間も平気で遅れますし、
今は違うけれど2008年に僕がデリーの空港に降り立ったとき、
空港の中にあった時計が故障していました。
バスが遅れても誰も怒らないし、
そもそもバスが今日は来なかったとしても、
誰も怒りません。
「バスが来ないことに腹を立てないんですか?」
と聞くと、
「だって、明日また並べばいいじゃないか」
と当たり前のようい言われます。
約束していた時間に、
6時間ぐらい遅れてくるのは平気ですし、
それに対して謝る人もいないし、
怒る人もいません。
僕は途中で、
馬鹿らしくなったのでシステム手帳を捨てました。
そのとき「時間」から、
自由になった気持ちがして、
少し気持ちが良かったのは自分でも意外でした。
日本を含む現代の西側諸国は、
「時間が3種類ある」と考えています。
過去・現在・未来です。
インドを含むヒンズー文化圏に、
時間は2種類しかないのです。
今と、今以外です。
だから、明日と昨日は同じ単語なのです。
「今じゃない」という意味で同じだからです。
そうすると、
一番重要なのは今を大切にすることです。
日本では多くの人が、
未来のために現在を犠牲にするのは偉いことだと考えています。
過去のことをくよくよ悩んでいる時間も長いです。
でも、「今」を犠牲にすることで、
未来や過去に振り回されるという不自由の代わりに、
便利さや豊かさを得ていたんだ。
それが今の日本なんだ、
ということを、
6000キロほど離れたインドで初めて理解しました。
これが「自動車を降りて外から見る」ということです。
日本のことをよく知りたければ、
日本について勉強するのと同じくらい、
日本の外に出かけることが大切です。
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