みどりさんは大学で保健の勉強をしたそうですが、海外ではそれはどんなふうに役立ちましたか?

私が「保健学」を選んだのは、大学の1年半の教養課程が終わったときでした。かなりのんびりと自分の専攻を決めたわけです。教養課程時代、理系だった私が文系の分野も幅広く学べたのは、とても良かったと思っています。いろいろな分野の端っこに触れると、それぞれの分野でどんなことが課題になってきたのか、様々な考えが提案、議論されながらより真実の考えに整えられてきたことが見えてきます。社会や世界を見る見方や考え方を刺激されて、広い視点を少し身につけられたように思いました。

 「保健学」という分野に関心を持ったのは、いろいろな学科を調べて、人間の健康を総合的に考える機会を与えてくれそうなことに興味がわいたからです。教養課程の影響か、全体として考えてみたい、という思いが私の中でムクムクと湧きあがっていました。

実際に「保健学」では、細胞のことから始まり、体の構造や機能、精神面、さらに宇宙から降り注ぐ放射線の影響、という宇宙視点まであり、また人一人を取り出して健康を考えるのでなく、社会で生きるから「社会学」から考える健康、世界のいろいろな文化で健康をどのように見ているかを知る「文化人類学」と、いろいろな角度から「人の健康」を考える機会がありました。私は大満足でした。また、世界保健機構(WHO)では、「人の健康」を「病気がない状態」とだけ考えるのでなく、「肉体的にも、精神的にも、そして社会的にもすべてが満たされた状態にあること」と定義したことも知りました。病気があると困るから取り除く、という考えでなく、人がもともと持っている体や心の素質、そして人との関わりが最大限に生かされる状態の「健康」を目指そうとしていました。

 私の頭の中ではそれまで日本の人たちが普通に過ごしている姿が、世界の標準だと思い込んでいたことにも気づかされました。80年代前半、日本だったら薬か予防注射によって死ぬことがない病気で、世界の貧しい多くの国々では命を落とす子どもたちがたくさんいることに衝撃を受けました。2020年代の世界になると、WHOやユニセフという国連機関、各国政府、また私も関わったたくさんの民間協力団体のおかげで、40年前に比べて簡単な病気で死ぬ子どもたちの割合は、はるかに小さくなりました。けれども、今も世界には、紛争や社会基盤の設備が整っていなくて、健康に必要な知識を得て、食料や医療を手にすることが困難な人たちがたくさんいます。

 

さて、「保健学」は、海外でどのように役立ったでしょうか。

 告白すれば、大学で教えられた細かい知識はほとんど忘れてしまいました⁉けれども、様々な角度から「健康」を考える訓練をされたのが一番、役に立ったと思います。

 たとえば、派遣されたバングラデシュで最初、施設で栄養失調のお母さんたちへの保健教育を担当しました。赤ちゃんのお母さんたちの中には、幼い顔立ちの人がたくさんいました。「お母さんたちはどんなふうに育って、結婚して赤ちゃんを産んだのかなあ。」とお母さんたちと話して、今までの人生を知りたいなと思いました。話してみると、学校に行ったことがない、10代前半で親が決めた年上の人と結婚したお母さんたちがほとんどでした。

当時のバングラデシュはとても貧しい国でしたけれど、お店に行けば食料品はちゃんと売っていました。けれども一生懸命働いても、その食料品を買うお金がなかったのです。こうして、子どもが栄養失調にならないようにするには、自分や子どもたちが何を食べたらいいかを知るだけでは充分でないと知りました。そこで、小学校までしか行けなかったお父さんが一生懸命働いても十分な食料を買えない人たちに、どう関わったらいいかを考えるようになりました。教育を受ける機会がなかったお母さんたちは、周りの人たちから「外で働くのは女性がすることではないんだよ」と言われ続け、家の中の仕事だけしていました。

このような話を聞いて、私は人々の生活の場で関わることがとても大切だと思ったのです。当時の首都ダッカのいくつかのスラム(注:大きな町にある、貧しい人々が住む電気も水道もない粗末な家が密集したところ)を調べ、一つのスラムを選びました。地域のお母さんたちに、すでに他の団体が取り組み始めていたグループ活動を働きかけてみることにしました。教育を受けなかったため人にだまされたこともあるお母さんたちは、教育の大切さを強く感じていました。そこで、識字教育と毎週、貯金をして必要品を仕入れて、売ることで収入を増やすことを推進するグループ活動を行いました。個人で努力しなくてはなりませんけれど、グループになると励まされます。みんなで意見交換するうちに、刺激を受けて新しいアイディアが湧くのでした。私には新しい関わり方でしたけれど、人が集団になるときの社会学の見方を学んでいたので、進めていくことができました。

私は人の健康を総合的に見る「保健学」を学んで、小さな子どもたちがなぜ栄養不足になるのか、家族の様子や暮らしから始まって全体的に考えて対応することができるようになりました。この見方を訓練されたから、貧しくて教育を受けられなかった人たちも、未来を想像して今、何をしたらいいかを考えて実行することができると思えたのです。30年前、まだ食事が不十分だったときから、生活向上に努力したお母さんやお父さんがいたから、バングラデシュは2026年に、ついに国連が定めた「最貧国」から卒業します。90年代のバングラデシュで苦闘する人々と一緒の時間を過ごし、私も成長することができた大切な時間でした。

からし君も、地球社会にあるたくさんの課題を知るでしょう。それらの課題に直面する人々と大切な時間を一緒に過ごしながら、より良い解決を目指して関わってくださいね!

Tags:

No responses yet

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です