徒然遊び歌
聖書の言葉をヒントに「生きる喜び」の秘訣を、川柳もどきの「いろは歌」に託して詠んでみました。
わ
わが命
捨てて未来の
糧となる
~ わが命 捨てて未来の 糧となる ~
良い管理者としての役割
「朝(あした)に夕べを謀らず」ということばがあります。「今がよければ良い」「目先のことしか考えない」という意味です。現代社会にも「今だけ、カネだけ、自分だけ」という言葉が象徴しているように「私利私欲」を追い求める生き方が蔓延っているように思えます。
しかし、「今だけ、カネだけ、自分だけ」という生き方は、調和のとれた自然界の摂理に反するものです。大自然は絶妙な循環とバランスによって保たれています。すべての動物や植物は自分の一生を終えると、土に戻り、そこからまた次の世代が育っていきます。ひとつのいのちが犠牲になることによって、他の植物や動物のいのちが支えられるという「食物連鎖」が生態系を支えています。この食物連鎖の頂点に立つのが「創造の冠」としての私たち人類です。私たちのいのちを支えてくれている植物や動物に感謝の念なしに接し、自分の欲望を満足させるために動物を乱獲したり、植物を乱伐したりして良い筈はありません。支配者ではなく、良い管理者としての役割を果たすべきです。
自分の利益にならなくても、人(皆=共同体)の利益を考えて行動すること
目先の利益を判断の基準にして物事を決めることが多い現代人の生き方と対照的な生き方をしてきているのが、一万年以上続いた日本の縄文人や、米国の東部森林地帯特有のロングハウス(長方形の共同居住空間)に居住してきたイロコイ族です。縄文人は争いのない循環型社会を形成していましたし、イロコイ族は今なすべきことを七世代後の子孫にとって益になるかどうかを考えて決めたそうです。
縄文人やイロコイ族の知恵に倣い、私たちも「宇宙船地球号」の将来を考えて種々の決断を下したいものです。ある時には、自分の利益にならなくても、人(皆=共同体)の利益を考えて行動することが求められます。ここに「愛」があります。
私たちに与えられている「いのち」は特別な一度限りのものです。意味のない人生はひとつとしてありません。私たちが自分以外の誰か(何か)のために、自分のいのちを使うことが「使命」なのではないでしょうか。自分に与えられた使命をしっかり見極めて、充実したいのちを生きる者とされたいものです。
三浦綾子氏による実話小説「塩苅峠」は、このような生き方をした一人の人物を取り上げています。ぜひ一読をお勧めします。
新約聖書 ヨハネ 15:13
人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。
新約聖書 Ⅰヨハネ3:16
キリストは私たちのために、ご自分のいのちを捨ててくださいました。それによって私たちに愛が分かったのです。ですから、私たちも兄弟のために、いのちを捨てるべきです。